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死ぬのはみんな一緒。でも、死に方はそれぞれ。

最近、近所の方が亡くなった。
人の死は、いつも突然ではないのに、
どこか突然のように胸に届く。
その知らせをきっかけに、
自分のお葬式のことを考えた。
今は家族葬、直葬、樹木葬、散骨——
選択肢はいろいろある。
けれど、どんな形であれ、お金はかかる。
死ぬことそのものは平等なのに、
死に方も、その後の形も、それぞれ違う。
私はどんな最期を迎えるのだろう。
子どもたちに迷惑はかけたくない。
その思いは本心だ。
けれど、「まったく誰にも迷惑をかけない」ということは、
もしかすると、生きている限り難しいのかもしれない。
人は関わりの中で生き、
関わりの中で終わる。
完全に誰の手も借りずに去るというのは、
どこかで“誰とも関わらずに生きる”ことと
同じ意味になってしまう気がする。
それは、少し寂しい。
だからせめて、
困らせない準備をしておこうと思う。
自分はどうしてほしいのか。
どんな形を望むのか。
何を残し、何を残さないのか。
考えておくことは、
残される人への静かな責任だ。
でも同時に思う。
最期のことを考える時間は、
結局のところ、「今日をどう生きるか」に戻ってくる。
どんな死に方をするかは分からない。
けれど、どんな今日を重ねるかは、
今この瞬間に選べる。
不安も、迷いも、重たい思考も、
すべて抱えながら、それでも呼吸をする。
あすみのは、
人生の有限さを思い出した日ほど、
“いま在る身体”を静かに感じ直す場所です。
やわらぐ、ということは、
生きる覚悟を整えることなのかもしれません。

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